富山県立高岡南高校卒業。昭和音楽大学音楽学部器楽学科フルート専攻卒業。国際スズキ・メソード音楽院卒業。現在、北陸越地区唯一のスズキ・メソード フルート科指導者としてきめ細やかな指導を行なっています。また、スズキ・メソード0〜3歳児コース富山教室にて、教室長も務めています。
これまでに、フルートを髙橋利夫、金森智子、黒田隆、藤井ひろみ、吉田春代の各氏に、室内楽を故宇野浩二氏に、オーケストラスタディを岡本えり子氏に師事。
高岡市美術館、ウィング・ウィング高岡の完成記念コンサート、富山県オペラ協会オペラ公演「フィガロの結婚」「魔笛」などに出演。ソロ活動の他にも室内楽、富山シティフィルハーモニーでのオーケストラ活動などを通じて、地域に根ざした演奏活動を積極的に行なっています。
フルートアンサンブル「奏」、フルートアンサンブルjoujou主宰。TOYAMAフルートアンサンブル所属。富山シティフィルハーモニー管弦楽団所属。また、スズキ・メソード指導者(ヴァイオリン納原久顕、ピアノ發田なぎさ)で結成されたアンサンブルCarillon(カリオン) のメンバーでもあります。
使用楽器は、ブランネン14KRH。
私がスズキ・メソードを知ることになった
オーストラリアでの体験について
オーストラリアの思い出のプレート 私がスズキ・メソードを知ったのは、音楽大学を卒業して、実家に帰り、フルート教室と高校の音楽の臨時講師を掛け持ちで教えていた頃、オーストラリアで行なわれたスズキ・メソードのパンパシフィック大会に、妹がチェロで演奏のお手伝いのため参加するというので、私もパンフレットを見てフルートのレッスンを受けられるということを知り、一緒に参加しました。1995年1月のことでした。その時に髙橋利夫先生と初めてお会いしたのですが、これが偶然といいますか、大学時代の恩師である黒田隆先生が、昔、髙橋先生にレッスンを受けられていたということでした。
初めて見るスズキ・メソードの子どもたち。小さな子どもたちが見事な演奏をする様子に(しかも、どの曲も暗譜で)衝撃を受けたことといったら、今でも忘れられません。ヴァイオリンや、フルートの音色の美しさといい、演奏する姿勢も素晴らしくて、この団体は、なんてすごいのだろうと感銘を覚えたのを覚えています。
そして、小さい頃から、「繰り返し」を大事にしていることや、教育法についても、他とは何か違うぞという思いを感じ(その頃は、やんちゃな高校生に手を焼いていました)、スズキ・メソードについて、もっと知りたいという気持ちが強くなり、2ヵ月後には長野県松本市にある国際スズキ・メソード音楽院(当時は才能教育音楽学校という名前でした)の入学試験を受けて、無事に入学することができました。
私がスズキ・メソードを知ることができたのは、偶然といってもいいかもしれません。
ですが、あの時、オーストラリアの大会に参加できたことは、私の人生にとって、大きな道しるべとなる出来事でした。あの時から21年経ち、今ではフルート科の指導者として、さらにスズキ・メソード0~3歳児コース富山教室にも関わらせていただいている状況です。