モイーズ先生の教え、
鈴木先生の教え。

 

モイーズの奏法を学びたい

 
 その生死も居所もわからないままに、師と決めたマルセル・モイーズを求めて渡米したのは、1965年、私が27歳の時でした。それまでの3年間、楽器は違いますが、鈴木鎮一先生に表現法のレッスンを受けていました。ある日突然、鈴木先生が「モイーズ先生は、まだ生きていらっしゃいますかね」とおっしゃって、それがきっかけだったのです。
 

マルセル・モイーズ(1889〜1984)。20世紀最大のフルート奏者の一人。第二次世界大戦の前まで、パリ音楽院の教授を務めた


 
 実はモイーズも弦楽器奏者に学んでいました。当時、世界を席巻していた「カペー四重奏団」を聴いて感動し、表現方法を学びたいと、ルシアン・カペーがパリ音楽院で開いていた室内楽のクラスに入れてもらいました。でも、そうそうたるヴァイオリニストの中に入った17歳のモイーズは、「自分のフルートは音量も、しなやかさもなく、音色も表現力も乏しい、なんと情けない」と自己嫌悪に陥ります。その時、カペーは「最初から音楽性のある者などない。私だってそれ相応の勉強をしたからだ」と言ったそうです。そして、歌い方ならオペラのアリア、リズムの勉強なら踊りから、ハーモニーならカルテットから学ぶようにとアドバイスしてくれました。
 
 それは特別なことではなく、ほかの著名な演奏家も声楽に学んでいます。クライスラーやエルマンも、それぞれテノール歌手のマッコーマクやカルーソーのオブリガート奏者を何年も経験しています。カザルスもコルトーもそうでした。
 
 モイーズはその通り実践し、研究して書いたのが、私が国際スズキ・メソード音楽院の授業で使っている「トーン・ディベロップメント・スルー・インタープリテーション」で、オペラの解釈を通じた音色の改良の本です。

  現在、スズキ・メソードではモイーズの奏法で教える指導者が、世界で500人。アメリカに300人。ヨーロッパとパンパシフィック、アジアで100人ずつくらいいます。私はもっともっと、このモイーズ・トーンに基づくトナリゼーションを世界に広めたいと願っています。
 

スズキの教本を書きませんか

 
 アメリカからの帰国リサイタルを聴きに来てくださった鈴木先生が「スズキのフルートの教本を書いてみる気はないですか」と突然言われました。当時31歳だった私は、とても無理とお断りすると「書けますよ。私がノウハウを教えますから」と。それは「1冊の中で、あまりいろいろな要求を出してはいけない」「同じくらいのレベルの曲を数曲並べる。中でも一番最初の曲が大事」というような内容でした。最初の曲を一生懸命練習し、さらに同じくらいのレベルの曲を数曲やって能力を身につけると、次のステップに楽に進めます。それでスズキ・メソードの教本は、1曲ずつ難しくなるのではなく、段階式になっています。それと飽きないように「できるだけ大作曲家の曲から集める」ことでした。
 
 それで試行錯誤の末、1巻を作り、自分の生徒で何度も試して、2年半かけて3巻まで作って鈴木先生にお見せしたところ、「いいでしょう」と翌日には出版社の担当者を呼ばれていました。これらは1971年に出版され、現在も世界中で使われていて、初歩の教本の定番になっています。もう、鈴木先生に感謝あるのみです。
 

才能教育会館でのモイーズの講習会風景。写真中央がアシスタントの髙橋利夫先生

 

 ほかにも、カザルス、ゼルキン、プリムローズなど、鈴木先生のおかげで、ハイレベルな音楽家の方たちと巡り合うことができました。何より鈴木先生はじめ、頂点を極めた人は柔和で品格があって、謙虚であることを身をもって知ったことは、大きな財産になっています。

機関誌No.159より転載