1963~1965年
フルーティスト髙橋利夫、
鈴木鎮一に音楽表現法を学ぶ
19歳より独学でフルートを始め、1年でドップラーの「ハンガリア田園幻想曲」を吹き、東京アンサンブルソナーレのソリストとして活躍していたフルーティスト髙橋利夫は、ある時、自分の音楽表現はこれでいいのだろうかと疑問を感じ、郷里の松本にいらした鈴木鎮一のもとを訪れ、楽器は違うけれど真の音楽を学びたいと教えを乞うた。
毎週2時間のレッスンを受けて3年経った頃に鈴木鎮一から「モイーズ先生は生きていらっしゃいますかね」と尋ねられ、それをきっかけに髙橋利夫は、フルートの神様と言われていたマルセル・モイーズに教えを受けることを決意する。その頃日本ではモイーズの詳しい情報がなかった。おそらくアメリカではないかと準備を進める。
1966年初春
モイーズを探し当てる
渡米半年後、ヴァーモント州ブラトルボロにマルセル・モイーズを探し当て、初対面から意気投合し、その後長く薫陶を受ける。この信頼関係が、後にモイーズ来日を実現させることになる。
「夢にまで見ていた大モイーズ先生の下で勉強する機会を得たことは、私にとってなんと大きな喜びであり、また幸いであったことか……。
モイーズ先生は遠来の客である私を暖かく迎え入れてくださり、大きな愛と情熱をもって指導してくださった。ウエスト・ブラトルボロと呼ばれる片田舎の小高い丘の上の木立の中にポツンと立っている山小屋風の美しい家の八畳ばかりの小さな部屋――それは書斎にも、レッスン室にも寝室にも使われているが―――この部屋で忘れられぬ時を過ごした。
私たちのレッスンはいつも3~4時間になってしまい、その半分はペルノ酒を味わいながら、有意義な対話をするのが常でした」(髙橋利夫著「モイーズとの対話」(全音楽譜出版社)より)
1968年初秋 帰国
10月23日 帰国記念リサイタルを開催
松本市民会館でのリサイタルを聴いた鈴木鎮一から、スズキ・メソードのフルート指導曲集を執筆するよう髙橋利夫に依頼があった。突然の話に驚いて「とても無理です」と断ったところ、「大丈夫です。指導曲集を作る上で大事なことは私が教えますから」とのことで、指導曲集の執筆にとりかかる。
鈴木鎮一はモイーズのもとで音楽表現、奏法の多くを会得してきた髙橋にスズキ・メソードのフルート科を託したのだった。
→帰国記念リサイタルのプログラム
1973年10月〜11月
マルセル・モイーズ(84歳)初来日
・松本 10月30日~11月2日
・東京 11月5日~7日
・神戸 11月15日~17日
全国から多くの受講生の応募があり、フルート演奏家、音楽大学関係者など会場は連日満員の聴講生で埋まった。モイーズ先生の愛と情熱に溢れた熱心な指導は、妥協を許さない厳しいものであり、しかし時にはユーモアに溢れ、会場を沸かせた。
1975年10月25日
髙橋利夫フルートリサイタルを
松本市民会館ホールで開催
・バッハ:フルートソナタ No.6 E dur BWV1035
・モーツァルト:フルートクァルテット D dur K.285
・ライネッケ:フルートソナタ(水の精)Op.167
・山田耕筰:からたちの花変奏曲
・ビゼー:組曲「アルルの女」より間奏曲
・ポップ:鳥の歌
・中尾都山:峯の月
・ビゼー:カルメン幻想曲(ボルヌ編曲)
~リサイタルに寄せて~鈴木鎮一
当代の巨匠、モイーズ先生の愛弟子であり、才能教育のフルート科主任である髙橋氏の美しく、柔らかく、また、力強いフルートの香り高い演奏は、聴く人々に深い感動を与えることと思います。また、フルートクァルテットの弦との調和、美しく、また楽しい音楽の夕べとなることでしょう。音に心を・・・音にいのちをと、音楽の生命の本質と取り組んで、追求しておられる氏は、正に芸術の本道を歩みつつある人、モイーズの真髄を、その音と音楽とを求めてやまない氏のフルートは我々に優れた音楽の心を訴えてくることでしょう。帰国以来、久し振りの今回の独奏会は、われわれ友人の大いに期待するところであります。
→リサイタルプログラム
1977年7月
第2回ハワイ国際指導者研究会開催
7月27日にホノルルのハワイアン・ヒルトン・ビレッジのコーラル・ボールルームで開会式が行なわれた。日本、アメリカを中心に、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ヨーロッパの国々から指導者が集まり、総勢636名となった。
前年の1976年1月、9歳4ヵ月で髙橋クラスに入会した宮前丈明少年は、驚異的な速さと吸収力でスズキ・フルート指導曲集の第1巻から第10巻の全課程を1年半ほどで終了した。モイーズの演奏録音を聴き、髙橋利夫の指導とライブ演奏から大きなインパクトを受けて育ったことは言うまでもない。ドップラーの「ハンガリア田園幻想曲」は、髙橋が夫人のピアノ伴奏でラジオ放送に出演した演奏を録音して何度も聴いた特別な思い入れのある曲であった。
1977年11月
マルセル・モイーズ(88歳)再来日
マルセル・モイーズからは、しばしば手紙で「もう一度できれば松本を訪れたい」という希望が届いていた。髙橋は7月にブラトルボロにモイーズを訪ね、鈴木鎮一の招聘の意向を伝え、再来日の可能性を話し合った。11月末なら行かれそうだということになり、帰国後すぐに準備を始めた。
11月19日ニューヨークを発ち、20日サンフランシスコ、21日ホノルル、22日夜7時すぎに88歳のモイーズ先生は無事元気で羽田に到着された。
「出迎えた人達全員が、その元気そうな姿を見て安心すると共に巨匠を再び迎えることが出来た喜びと感激が急激に燃え上がってくるのを身体全体で感じました。来られる筈のない大モイーズの感動的な姿がそこには紛れもなくあったのです」(「モイーズとの対話」より)
11月24日に松本に移動した後は、さすがに疲れた様子が見えたモイーズも、27日の歓迎コンサートでスズキ・メソードの子どもたちの演奏を聴くとお元気になられた。そして、翌日からの講習会で11歳の宮前君は「ハンガリア田園幻想曲」を受講した。冒頭のAの音が鳴り響くと会場にいた聴講生から響めきが沸き起こった。髙橋の下、スズキ・メソードで育った宮前少年の演奏はモイーズを感動させ、嬉々として素晴らしいレッスンをされた。
(注)マルセル・モイーズ再来日でのフルート講習会のレッスンの様子や祝賀コンサートの様子は、髙橋利夫著「モイーズとの対話:改訂版」2005年発行(全音楽譜出版社)の中の「第3部 巨匠マルセル・モイーズ来日の思い出」に詳細な記述があります。
1978年
髙橋利夫著「モイーズとの対話」初版(全音楽譜出版社)を出版
髙橋が、ブラトルボロのモイーズの自宅で3年近く教えを受けたレッスンはいつも3~4時間にもなり、その半分はペルノー酒を味わいながら有意義な対話で過ごすのが常であった。
髙橋の問いかけに、モイーズはいつも真摯に多くのエピソードを交えて語ってくれた。その貴重な会話を忠実に再現して「モイーズとの対話」としてまとめた。
第一部 モイーズとの対話、第二部として髙橋の研究であるモイーズ奏法に関する考察、2005年改訂版に、第三部 巨匠マルセル・モイーズ来日の思い出を加筆。
全音楽譜出版社 2,420円(税込)→詳しくはこちら
1978年7月
宮前丈明君、ブラトルボロで
モイーズのレッスンを受ける。
8月に招聘を受けたウィスコンシン大学での夏期研究会に先立ってヴァーモント州ブラトルボロのモイーズを訪ね、レッスンを受ける。マールボロ音楽祭の最盛期で多忙なスケジュールの中、何時間かレッスンの時間をとってくださった。
「わずかの機会に最大限の吸収をさせようと云う、火の出るような勢いでレッスンが続いた」(機関誌No.46髙橋寄稿)
息子のルイ・モイーズのレッスンも受けることができた。ルイは父と同じくパリ音楽院で学び、フルーティストであり、優れたピアニストで作曲家でもあった。
モイーズとは、翌年1月にホノルルでお会いすることを約束する。
1978年8月
髙橋利夫、アメリカの大学で
スズキ・フルートメソードを紹介
髙橋がアメリカ、ウィスコンシン大学でのスズキ夏期研究会に招かれ、初めてスズキ・フルートメソードを紹介。以来、毎年招かれ、アメリカ(SAA) 、ヨーロッパ(ESA)、オーストラリア(PPSA)、韓国、台湾などで指導者養成セミナーを開く。これにより、スズキ・フルートメソードは飛躍的に海外に広まった。
松本の髙橋の下には、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパから、年々多くの留学生が訪れ、世界にスズキ・フルートの指導者が増えていった。数千人の単位でフルートの生徒が学ぶようになり、世界に発展している。
1979年1月
ホノルルでのモイーズのセミナーを受講
音楽大学の学生や指導者20名がホノルルでのモイーズのセミナーに参加した。
「5月には90歳になるモイーズは深く厳しい、妥協のないレッスンの連続で、日本での過去2回のレッスンよりも深い要求をされた。受講生も皆それによく反応して充実したレッスンだった。「シューベルトの主題と変奏」(ベーム)、「フルートとハープのための協奏曲」(モーツァルト)など、どれも深い内容を有する曲ばかりで、長い時は一曲に2時間近くを要することもあった」(機関誌No.48髙橋寄稿)
12歳になった宮前君は、イベールのフルート協奏曲全楽章、ライハルトのタランテラ、モーツァルトのフルート協奏曲二長調全楽章、アンデルセンの24の練習曲Op.15を受講。
1983年7月15日〜21日
第6回世界大会を松本で開催
7月15日、東京のNHKホールでコンサートを行ない、空路松本入りした一行を出迎え、松本城で歓迎セレモニーが行なわれた。松本市、市商工会議所、青年会議所の協力をいただき、文字どおり市民ぐるみの歓迎の中で開催された。
1984年11月1日
フルートの神 マルセル・モイーズ逝去
ブラトルボロの自宅で95歳の生涯を閉じられた。
1986年9月28日〜12月7日
各地で開催された鈴木鎮一米寿を祝う会
1986年10月17日に米寿を迎えられた鈴木鎮一先生をお祝いして松本支部と東海地区でコンサート、そして関東地区では東京會舘で祝賀会、サントリーホールでコンサートが開催され、フルート科も参加して演奏を行なう。
9月28日、松本支部の祝賀コンサートは松本市音楽文化ホールで開催。
この機会に結成された支部合奏団で、モーツァルトのディヴェルティメント(K.136)の演奏(指揮・フルート科指導者)がオープニングを飾り、フルート科ではジュナンの「ヴェニスの謝肉祭」、グルックの「メヌエットと精霊の踊り」を演奏した。心温まる鈴木鎮一先生の米寿のお祝いのコンサートとなった。
11月9日、東海地区で名古屋大会を愛知厚生年金会館ホールで開催。
フルート科も出演した。
11月16日、東京會舘ローズルームでコンサートと祝賀会を開催。
秋晴れの中、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、フルートの子どもたちが会場に集まり第1部のコンサートで演奏。第2部では祝賀会が催された。
12月7日、サントリーホールで「鈴木鎮一と”キラキラ星”たち」コンサート。
こちらは1年半前から準備が進み、サントリーホール・オープニングシリーズの一環として開催された。2,000席の大ホールが満席となり、スズキ・メソードで育ち、世界的に活躍するスズキ・メソード出身のヴァイオリニスト、佐藤陽子さんらをゲストに、フィナーレは鈴木先生のピアノ伴奏によりキラキラ星の大合奏で締めくくられた。
どの会場でも鈴木鎮一先生は子どもたちへの愛に満ちた満面の笑顔で、皆を魅了してくださった。
1989年7月16日〜21日
第9回世界大会を松本で開催
1995年
パン・パシフィック大会に参加
1月2日~8日までオーストラリアのシドニーでパン・パシフィック国際大会が開催された。各国からの参加者が3000名にのぼる盛大な大会となり、日本からも300名が参加。
1996年
幼児用U字管フルートを開発
その後のスズキ・メソードのコンサートでは、幼児用U字管フルート、U字管フルート、ストレートフルートの3種類のフルートで吹く子どもたちの合奏する姿が定着した。
→幼児用U字管フルート誕生秘話
2001年1月28日
サントリーホールにて、
鈴木鎮一メモリアルコンサートを開催
世界各地から集まったスズキ出身の演奏家によるメモリアル・オーケストラの演奏で鈴木鎮一作曲「弦楽のためのワルツ」で始まり、オーディションで選ばれた各科の生徒と上級生とのオーケストラ伴奏による協奏曲が演奏された。フルート科はフルート協奏曲第1番ト長調第1楽章(モーツァルト)を演奏。ソリストもオーケストラも集中力の高い素晴らしい演奏だった。そして世界的に活躍するヴァイオリン渡辺玲子、ピアノ東 誠三、チェロ林 峰男のソロがあり、メインはメモリアル・オーケストラの弦楽セレナード(ドヴォルザーク)だった。そしてフィナーレはオーケストラを囲んで200人の生徒によるキラキラ星変奏曲で幕を閉じた。
2001年11月18日
関東地区主催 オータムコンサート
(中野サンプラザ)
ヴァイオリン、フルート、チェロ、ピアノの全科の生徒が参加。全曲を指導者オーケストラの伴奏により各科の協奏曲全楽章を演奏。このコンサートは、オーケストラと一緒に演奏する機会が少ない中級や初歩の生徒のために、日頃レッスンを受けている先生と一緒に同じステージで演奏するという企画だった。
フルート科ではチマローザの2本のフルートのための協奏曲を1、2、3楽章、指揮は髙橋利夫。フィナーレは全科で合奏、最後のキラキラ星は会場で家族と一緒に聴いていた生徒も一緒に大合奏。演奏が終わっても拍手が鳴り止まず、アンコールとしてもう1回キラキラ星を演奏するという大ハプニングで終了した。
2002年11月10日
NHK総合テレビ出演
「NHK教育フェア 2002 ゆかいにイングリッシュ〜さくらと歌おう」に、5〜9歳のフルート、ヴァイオリン、チェロを学ぶスズキ・メソードの子どもたちが出演。
2009年11月23日
第1回フルートグランドコンサートを開催
200人の子どもたちによるフルートグランドコンサートを国立オリンピック記念青少年総合センター大ホールで開催した。
ヴァイオリン科、チェロ科の子どもたちのオーケストラとともに、交響曲第38番二長調「プラハ」(モーツァルト)、精霊の踊り(グルック)、2本のフルートのための協奏曲ト長調(チマローザ)を演奏。
2010年6月
宮前丈明フルート連続演奏会を開催
東京(6月13日) 武蔵野市民文化会館小ホール
名古屋(6月19日)中電ホール
松本(6月20日) 才能教育会館ホール
・『しぼめる花』』による序奏と変奏(シューベルト)
・フルートソナタ第1番(ルイ・モイーズ)
・無伴奏フルートのための3つの小品(フェルー)
・オベロンによる大幻想曲(ドゥメルスマン)
という意欲的なプログラムを披露。ことにルイ・モイーズのソナタは作曲者ルイ・モイーズから直接教えを受けた宮前ならではの特筆される演奏だった。
名古屋と松本では、前半はソロリサイタルでピアノは臼井文代、後半は髙橋利夫指揮で弦楽アンサンブルとの管弦楽組曲第2番ロ短調(J.S.バッハ)、フルート協奏曲ホ短調(メルカダンテ)のプログラム。名古屋では長谷川クラス弦楽団、松本では国際スズキ・メソード音楽院の室内合奏団と共演。
2013年3月27日〜31日
第16回スズキ・メソード世界大会 in 松本
14年ぶり、4度目の開催となった松本に、国内外から5,000人が集結。
「松本に到着した瞬間から、私たちは魔法にかけられたような経験をしました。細かなところまで計画を練られ、お世話をいただき、私たちは王族のようでした。イベントは豊富で変化に富んでおり、コンサートや会場は素晴らしいものでした。この世界大会は参加者全員にとって、感動的な経験となりました。私たちは子どもたちを指導するための新たなエネルギーに満たされて、帰ってきました。レベッカ・パルッツィ(アメリカ・イーストテネシー州立大学フルート科教授、フルート科指導者)(機関誌No.184 P22)
2013年7月
レコーディング・アーティスト 山下兼司氏逝去
1990年より2012年までの指導曲集第3巻、4巻、7巻のCDの演奏者。東京藝術大学在学中より髙橋利夫に師事し、1973年のモイーズ講習会において、グランソロ第5番(トゥルー)を受講。モイーズより音楽表現の美しさを称賛される。1977年モイーズ再来日の時の特別コンサートで、ブランデンブルグ協奏曲第4番のフルートのソリストを務める。
山下氏のフルートの音色は気品と格調があり、その上柔軟性に富んでいます。(中略)チェロのパブロ・カザルスを尊敬し、カザルスから学んだメリハリのしっかりしたフレージング、フレーズで歌っていくうまさ、それに特筆すべきは普通優れた弦楽奏者でしか聴かれない表情音程を身につけていることです。これらの総合的な芸術性から鈴木フルート指導曲集のCD演奏者として起用させていただきました。(1990年髙橋利夫評)
パリ留学時代のエピソードが絵本になっています。
この本は作者のいがらしあきこさんが、コンサートで聴いたフルート奏者山下兼司さんの音色に感動し、購入したCDの解説に書かれていた、パリ留学中の小さな出来事をもとに書いた本です。
パリ留学時代、我を忘れてフルートの練習に没頭していた、そんなある日のこと、見知らぬ老婦人が訪ねてきた。音の苦情を言われるのかと身を小さくしていると、そうではなかった。
「病気でベッドから起き上がれなくなった夫は毎日どこからか聞こえてくるフルートの音を楽しみにしていた。神に召された日もフルートの音はいつもと変わらず美しい響きで聞こえてきた。その音を探して私はここにきたのです。教会で亡き夫のためにフルートを聞かせてあげてもらえないか」と。教会の葬儀で演奏したのはバッハの「無伴奏パルティータ」とグルックの「精霊の踊り」
留学時代の忘れられない心に残る出来事だった。
「まちをあるいたフルート」風濤社
2013年8月2日〜4日
フルート科だけの夏期学校を開催
毎年恒例の本会主催4科合同の夏期学校は、3月の世界大会に集中したため、開催されなかった。
髙橋先生は、「アメリカでは5日間の夏期学校だから、本当を言えばもう1日あってもよかったけれど、私の後継者である宮前先生の本物の音を、生徒たちに聴かせることができ、私自身も手応えを感じました。音のいのち、ということをお話ししましたが、20分のいのちのない演奏よりも、1秒のいのちのある音がいい。スズキ・メソードのそうした感動する気持ちを、これからも大切にして欲しい」と話されていました。(機関誌No.185 P43より)
2014年6月〜7月
アメリカでの研究大会で指導
イーストテネシー大学スズキ・フルート国際研究大会、およびワシントン・スズキ・フルート研究大会(SAGWA)が髙橋利夫、宮前丈明を招聘。髙橋はアメリカ国内外から参加したスズキ・フルートの指導者に音楽表現法の指導を行ない、子どもたちにグループレッスンを行なった。宮前はゲストコンサートでドゥメルスマン、プーランク、シューマンの幻想小曲集などの演奏を行なった。
モイーズの教本「Tone Development through Interpretation」に基づいた髙橋のオペラクラスの指導は、世界中のスズキの研究会で常に要望の高いもので、NFAのコンべンション でも絶賛された。
(注:NFA=National Flute Association)
2014年11月30日
髙橋利夫喜寿祝賀会を開催
(松本 ホテル・ブエナビスタ)
フルート科をはじめ、全国のヴァイオリン、チェロ、ピアノの指導者、海外からはアメリカ、カナダ、フィンランド、台湾のフルート指導者ら約150人がお祝いに駆けつけた。
2015年6月
副教材オブリガートパート譜を制作
コンサートのフィナーレ で演奏する全科合奏で、フルートはオブリガードパートを演奏したいという長年の夢を実現。ヴァイオリン指導曲集第1巻No.1~12、また過去に編曲されていた指導曲集第1巻No.17、第2巻のNo.3、No.7も合わせて収録。
2016年
髙橋利夫 名誉教授に
各地区が、フルートだけでなくヴァイオリン、チェロの子どもたちのために髙橋利夫の指導によるグループレッスンを開催。
2016年10月23日
東海地区東濃支部
2017年4月4日
関東地区
2017年5月14日
北陸地区
「400人の子どもたちが一斉にキラキラ星変奏曲を弾き始めました。髙橋先生が全身で表現するリズムや音楽的な抑揚、フレージングに子どもたちは釣られるように演奏し、生き生きとしたエネルギーに満ちたキラキラ星に変わっていきました」(機関誌No.198 P.42)
2016年
特別講師に宮前丈明を迎え、
全国指導者研究会&夏期学校を開催
6月6日~9日開催の指導者研究会では、フルーティストであり医師であり脳科学者でもある宮前は音楽活動が脳の多くの場所の活性化に繋がる「転位学習」についてのレクチャーを行ない、科学の現場でどういうことがわかっているかを総論的に学び、レッスンでは生徒にどういうヒントを与えられるかというポイントを説いた。
また、宮城道雄の「Haru No Umi」のアンサンブルを研究し、コンサートで演奏を行なった。
2017年3月
東京大学と共同研究
2017年1月からスズキ・メソード(才能教育研究会)と東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉研究室が「脳科学が明らかにする言語と音楽の普遍性」というテーマで共同研究を行なうことになった。その研究で用いる音源にフルートの宮前丈明が協力することになり、3月24日、都内のスタジオで音源作りが行なわれた。
指導曲集の曲やフルートの名曲の中から4曲を選び、様々なシチュエイションで80種類以上の録音データを一気に録音した。(マンスリースズキ2017.4.1.)
→マンスリースズキ の記事
宮前はピッツバーグ大学医療センター精神科上級研究員として、脳神経科の科学者でもある。
2019年
第68回夏期学校
7月30日~8月2日 梅雨明けの暑い松本で開催された。教室レッスン、グループレッスン、マスタークラスなど多彩なレッスンが行なわれ、「午後のコンサート」「協奏曲の夕べ」などのコンサートも行なわれた。
その日(最終日)もとびきり暑く、でも一人も弱音をはくことなく、宮前丈明先生のグループレッスンを受けました。考え演奏する大切さ、曲の盛り上がる部分についてや、強弱をする意味など熱心なご指導に生徒たちはどんどんと引き込まれて行きました。必ず伝わると信じ指導される先生の思いはしっかりと伝わり、終了後はどの顔も笑顔があふれ、達成感で輝いているようでした。(参加者の言葉)
2020年
感染の拡大
世界的に感染拡大した新型コロナウイルスの影響により本会主催、各地区主催、支部主催のコンサート等行事が次々と中止または延期となる。
6月開催の指導者研究会と8月開催の夏期学校(おうち夏祭りに変更)は、オンラインによるレッスンが実施された。